尽分立用
川口 孝行
 分を尽くして用に立つ−「尽分立用」は協和発酵工業(株)の社是の一つで す。人には好むと好まざるとにかゝわらず将来を方向づける転機が訪れます。 この転機にあたって大切なことは「尽分立用」の精神で、与えられた仕事に最 善を尽くすことが、新しい道を切り拓く原動力となると思います。
 私の転機は昭和四十年代前半で、当時、門司工場で酒造りを担当していまし た。柳川出身の杜氏蔵人が有明海の海苔養殖に転業して人手不足に悩みました。 このため社員による酒造り体制と機械化を進めることに懸命で、研修テキスト づくりから実製造へと二年間、家庭を後回しにする生活がまたたく間に過ぎま した。そのような折、労働組合の非専従中央役員の話が持込まれ、酒造りを軌 道に乗せることが優先すると固辞したものの、流れにはさからえず酒造りをし ながら門司−東京を往復しるようになりました。
 会社業務に専念しようと考えていた四年目、委員長が体調を崩し、とうとう 思ってもいなかった委員長職を引き受けることになりました。昭和五十五年ま での九年間でしたが、当時はバブル景気の誘導期にあたる「いざなぎ景気」時 代で、経済社会の動きは激しく第一次ドルショック、二度にわたる石油ショッ クと狂乱物価など大きなうねりの中でした。社内的には、医薬拡大に伴う専業 他社から多数の途中入社者、大学紛争の影響をモロに受けた人たちなど複雑で、 会合では夜中まで激論をつづける日々でした。もっとも頭を痛めたのは、任期 中に三つの工場閉鎖問題で、該当工場に所属する人たちにとっては生活に直結 するだけに相手の立場になって徹底した話し合いの中から幸いにも円満解決を することができました。
 組合役員時代に学んだことは、困難に直面しても問題から逃げずに相手の意 見を尊重し、誠意をもって話し合えば解決出来ないものはないということを体 得したことです。
 明るい面では、昭和四十七年夏、上部団体の青年婦人百五十名の団長として 訪欧し、ドイツ社民党を支えるドイツ化学労組の骨折りでノーベル平和賞を前 年に受賞したブラント首相を官邸に訪問し「青年の協力なくしては、将来の社 会も平和も語ることが出来ない…」と激励をうけ、温い大きな手で握手を求め られた感激と感触は、忘れることが出来ません。 
川口 孝行
昭和9年3月26日生
熊本県荒尾市出身・福岡市在住