松下幸之助氏との出会い
北田 光男
 当社の前身であるバーゲンセンターはメーカーや地元業界の村八分にあい、 私は十二年間に及ぶ辛酸をなめた。しかし消費者からの圧倒的な指示を得て事 業は順調に伸展、福岡市の本店をはじめ小倉や久留米まで店舗を拡張していっ た。折しも昭和四十三年、当時松下電器産業の会長をしておられた松下幸之助 氏から「ちょっと大阪まで出てきませんか」という電話を突然いただいた。
 天下の松下さんからのお呼び出しである。
 面識はなかったが、よほどの大事であるに違いない。私はすぐ大阪の松下電 器本社へ向かった。
 松下さんはよく知られている通り、でっち奉公から身を興し、長者番付で日 本一になった人で、「経営の神様」とまで言われた人。私も手本と考えて尊敬 しているお方であった。その方から声がかかったのである。
 挨拶を交わしたあと、松下さんは、優しい声で「なあ、北田はん、あなたの 店に商品を出したい」とおっしゃったのである。
 あの「松下」が、自身の商品を売ってくれると言ってきたのだ。私は心の中 で「バンザイ」を叫び、その場で了承した。
 「ただ」と前置きして、次に松下さんが切り出したのは店名の件だった。松 下さんは「バーゲンセンター」は、いかにも値引き販売を強調したネーミング で我社の商品を出すのには抵抗がある、というのだ。「バーゲン」はアメリカ ではいい意味とされ、「グッドバーゲン」と言えば買物上手の意味だが、残念 ながら日本では安売りのイメージしかない。
 私は一週間の猶予と、一年間だけ新旧の名前を併用することの了解をもらっ て福岡に帰ってきた。そして考え抜いた。「バーゲンセンター」の看板を掲げ て十二年。孤独な戦いを共にしてきたこの看板には、愛着もあるし知名度も高 くなっている。「バーゲンセンター」の頭文字からとった「B」のマークも何 とか残したい。そして「B」を生かした「ベスト電器」を考え出した。
 あのときのネーミングはまさに「ベスト」だったと今、思うのである。
 松下氏との出会いは今でも忘れられない思い出となっている。
北田 光男
大正3年3月21日生
熊本県八代市出身・福岡市在住
〈好きな言葉〉「天は自ら助くるものを助く」