鉄拳に教わった人間性
高松 工
昭和十八年。私は専門学校を卒業すると、当時の青年達がそうであったよう
に海軍予備学生の道を選び、翌年五月予備少尉に任官、大湊海軍航空隊に赴任
した。航空隊司令は浦大佐で、予備学生時代に教官として指導を仰いだ人だっ
た。着任報告を終えると、司令は「オウ、来たか。貴様を戦闘指揮官として鍛
えるために俺が呼んだんだ」と言ったが、その言葉通り一人前の士官になるた
めに随分としごかれることになった。私は整備参謀付、第二飛行士(整備士官)
に任命された。
ところで、戦争の旗色があやしくなると、考えられないような妙なことも起
こる。どう間違って海軍に入ったのか、極端に頭の弱いKという水兵が召集兵 として配属されてきた。どうしても一人前になれない彼に与えられた任務は薪
割りだった。召集兵達が入隊して三カ月位経った頃、新兵に上陸(外出のこと)
を許可することになり、先任下士官にそのことを命令、「Kは誰か面倒みてや
れ」と指示した。ところがこれが大失敗だった。誰に面倒みさせろ、と具体的
に人選して命令すべきだったのだ。仲間の誰も彼に付き合わず、Kは上陸した
まま帰隊しなかったのである。脱走?青くなって報告する私に司令は「捜索し
ろ」とだけ命じた。早速下士官五名を連れ三日間探したがどうしても見つから
ない。意を決して司令に「憲兵隊にゆだねたい」と具申した。途端に「バカ者!!」
と往復の鉄拳を喰らった。「貴様!!Kが帰隊してもなんの役にもたたんと思っ
とるだろう。草の根をわけても捜し出せ!!」と怒鳴られた。
私は二十人の隊を編成して必死に捜索、遂に或る港町でKを発見した。司令
に報告すると「そうか。ご苦労、処分は追って達する」と言った。
しかし、その後本件に関する処分は出なかった。司令はこう言った。「Kに
どんな処分をしても仕方ないだろう。それより、もし他の隊に放り出してみろ。
奴がどんなに苦労することか」と。豪放な司令の心にかくされたキメ細かな優
しさをその時始めて知った。同時に自らの心に、司令に指摘されたような思い
があったのではと大きく反省させられたのだった。
「弱者の立場に立つ」鉄拳は頬の痛さではなく、人を思いやる人間性の大切
さを教えてくれたのである。
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高松 工
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大正11年5月17日生
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山口県徳山市出身・徳山市在住
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〈好きな言葉〉「他人にだまされても他人をだますな」