財産となった猛練習
玉井 信一
 この原稿を書いている八月の中旬、甲子園では連日高校野球児の熱戦が展開 されている。休日にゴルフを欠かさない私も、この期間の休日だけは自宅のテ レビの前で終日球児たちの熱戦を観戦することにしている。そしてテレビの画 面に躍動する選手の一投一打に拍手を送りながら、出場を果たすまでに彼らが 耐えてきた猛練習に思いをはせ、つい涙ぐんでしまうのである。というのも、 実は私も高校時代は野球部の選手で、投手で四番を打った球歴の持ち主だった からである。
 私の母校は北九州の地方都市にある県立高校で、この田舎高校と甲子園出場 高校との練習は比較すべくもないと思うものゝ、当時を思い返してみると、部 員二十名足らずの弱体チームにもかゝわらず、練習だけは猛烈を極めたもので ある。「どうせ勝てないとしても人並み以上に猛練習をし、それによって何か を会得して将来の糧にしよう」というのが監督の指導方針であったからである。
 終戦後五年も経っていない当時であったから、用具の粗末さはもとより、グ ラウンドの状態も最悪で、イレギュラーしたボールで唇を切り、鼻血を出すこ とも度々であった。
 しかしアメ、アラレと襲ってくるノックに耐えているうちに疲労で意識が朦 朧となり、その頃から難ゴロが自然とクラブに収まるようになってくるから不 思議なものである。そのうえ九州の夏の暑さは猛烈で、練習中の水飲みを禁じ られていた渇きの苦しさは、今でも忘れることが出来ない。
 こんな勝つ望みのない弱い高校時代の猛練習が、その後の自分に大きな財産 を与えてくれていたとは、その当時は考えもしなかったことである。
 大学を卒業して社会人となってからは、難事にあたる度に、「あの猛練習に 耐えたのは何のためか?」と自分に問いかけて頑張ってこられたし、六十五歳 の今でもゴルフでH6をキープ出来ているのは、あの猛練習で身につけた足腰の 強さのお陰と思っている。
 しかし、困ったことに還暦を過ぎてから、この猛練習の思い出が年々鮮烈に なり、春と夏の甲子園大会が始まると、テレビの前で涙ぐむことが段々と多く なってきたような気がしてならない。この現象を年老いたせいとみるか、まだ まだ血気盛んとみるか、自分では判断しかねているこの頃である。 
玉井 信一
昭和5年11月26日生
福岡県行橋市出身・東京都小金井市在住
〈好きな言葉〉「力をつくして狭き門より入れ」