石田武雄先生との出会い
高城 寿雄
 私が未だ二十一歳で東京都大井職業訓練所のラジオ、テレビ科で勉強中のこ とでした。
 当時、私の母は門司鉄道教習所に勤めておりました。母の同僚が東京にある 国鉄能率管理研究所に転勤となり、私もその方を良く知っていた関係で時々遊 びに家に伺っておりました。
 ある日その方から、うちの所長宅の冷蔵庫が故障し捨てると言っているので、 一度修理が可能か否かその冷蔵庫を見てきて欲しいと言われ、所長宅を訪問し ました。
 そこで紹介されたのが石田先生でした。石田先生は私に「修理出来ますか」 と尋ねられた。私は「やるだけやってみます」と答え、八十キロの重さの冷蔵 庫を単車に積んで品川の下宿に持って帰りました。しかし私は、冷蔵庫等を修 理した事は無く、数日間考えた末、下宿の近くに老人が一人でやっている冷蔵 庫の修理屋があったので、そこで修理の仕方を教えてもらおうと腹を決めまし た。
 当時、電気冷蔵庫は一般家庭には未だ無く、その老人は熱海や箱根にある旅 館や別荘の外国製の冷蔵庫の修理を専門にしていた様でした。
 老人の飯の種である修理技術を教えてほしいという申込みがそう簡単に受け 入れられるハズがなく、当然のことながら断られました。しかしながらあきら めることなく毎日頼みに行っていたある日、老人が留守で十坪ほどの仕事場に は一センチぐらい埃が溜っているのに気がつき、それから毎日行っては一時間 ぐらいかけて掃除をしたところ、一ヶ月後には仕事場はピカピカとなりました。
 ある日老人は突然「よし教えてやる。もってこい」と言ってくれました。そ れから二人で一週間程かけて焼けたモーターの巻線換、真空引、ガス入れ等を 行ない修理は完了しました。
 石田先生は修理の成功を大変喜んで下さり、それ以後何かと相談に乗って頂 きました。ある時、私が会社を設立することになり、先生に出資をお願いした ところ「了解した。君に出資するのだから何に使っても良いが、共同経営だけ はダメですよ」とのことでした。この"一言"はその後数度に亘る会社の危機に おいて、経営権が私一人にあったためかろうじて破産を免れたことを思うと、 石田先生の偉大さをあらためて感じました。
 石田先生はその後青山学院に移られ、十二年後に学長になられました。そし て今も健在で当社の監査役をお願いしております。 
高城 寿雄
昭和13年3月27日生
北九州市出身・北九州市在住
〈好きな言葉〉「我、事において後悔せず」